●普代海岸(岩手県下閉伊郡普代村字宇留部地区)における津波対策
・1972年(昭和47年)に着工された水門建設(高潮対策事業の中で実施)。
・当地は明治三陸(1896年(明治29年))と昭和三陸(1933年(昭和8年))の2つの大き
な地震津波で、1,200名もの人命を失った。
・昭和三陸地震津波(1933年)の被害以後、防潮林、防潮堤の整備を行った。その後、1962
年(昭和37年)三陸縦貫鉄道の開通、普代駅周辺の民家の密集、小中学校の建設等が進み、
それまでの対策では守りきれなくなった。そこで、普代川河口部に水門の建設を実施するこ
ととなった。
・計画対象津波は明治三陸地震津波(1896年(明治29年))とし、計画天端高(=津波高さ)
はT.P.+15.5mとした。総事業費35.6億円、10年の歳月をかけて建設。
明治の大津波では私の家族も15人中12人が死亡しました。